恐ろしい目が、人間の目に

恐ろしい目が、人間の目に
今でも忘れられない人がいるんです。それは目を逸らしそこなった人のことです。目が合っちゃた以上逃げられない。後から聞くと二十歳の兵隊です。私がしゃがむと、私の目をじっと睨むように見るんですね。怖い目です。どこかに触って何か言ってやりたい。全部焼け爛れてみるも無残な顔でした。触るところがありません。一生懸命見ていたら、左のほっぺにまるく焼け残ったところがあったんです。私がそこに指をあてて、何か言ったんですね。しっかりしろとか何とか。そうしたら、その恐ろしい目がすーっと柔らかくなって、人間の目に変わったんです。何か言いたそうだなと思ったら、頭がかくんと落ちて息が絶えたんです。私はその人の目の変化が焼き付いていて、いつでも思い出す。今でも夢を見てうなされます。これはどういう目なのか。さっきまで元気で死ぬとは思っていない自分が、ピカッと光って、ドシャとたたきつけられて、気が付いてみたら、周りにいる人間はお化けみたいだった。

「あんたも血が出ている」といわれてびっくりして触ると、血が出ている。だから、自分が何でこうなったのか、というのが分からないんですね。分からないまま死んでいくわけですから。死ぬというのは非常に怖い。それでその人は私に触ってもらって、ほっと和んだ時に亡くなったと思うんです。そういう人がいっぱいいて、みんなそういうふうに死んでいったんです。私はその時以来、たくさんの死骸をみましたが、人間があんなにも無残に殺されていくということの中で、何もできない医師というものの本当の情けさを、毎日味わっていました。

四日目の朝、火傷でない死に方が
最初の晩と二日目いっぱいは間違いなくみんな火傷で死んだんだと、そう思い込んでいました。学校で習った時に皮膚が三分の一以上焼けたときは死ぬ、助からないと。見たところ三分の一どころじゃない、半分くらいは焼けている。一目見て、ああ、この人はダメだなと。それが息を引き取るから、みんな火傷で死んだんだと疑わない。ほかの医者もみんなそう思っていました。ところが、得体のしれない異変が起きてきました。我々が今までに見たこともないし、教科書にも載っていない症状でした。火傷はしているけれど、別の症状が出てきたんです。四日目の朝でした。突然看護婦が、「軍医殿~、熱が出ました!」と呼ぶんですね。火傷や怪我が比較的軽くて寝転がっていた人が、まず、40度を超す熱を出す。そういう人の扁桃腺を診ると、ウワーというくらい臭いんです。これは医者にしかわかりませんが、人間の生身が腐っていくときの臭いなんです。壊死です。扁桃腺も咽頭の粘膜も真っ黒で腐っている。一目見て腐敗です。まだ生きているのだけれど、口の中だけ腐っているんです。

熱が出るとすぐに鼻や口から血が出てきて。みなさん。アカンベーをすると赤いところがあるでしょ。
そこからも血が出ます。後から眼科の医師にそんな眼病があるかと聞くと、そんなものは無いと。その当時寝ていた人は、みんな目から血を出していました。思わずびっくりして、何が起きたのかと。どうしていいかわからない。うろうろするうちに、ついにはお尻、肛門から血が出る。女性は前のほうからも出る。むしろを敷いて寝ているんですが、そのむしろが血の海になるんですね。吐血、下血の大出血です。患者はあちらに三人、こちらに五人と伝染病のように多発しました。そのうち、「お迎え」といわれて、すべての患者から恐れられた不気味な紫色の斑点、医学の言葉で紫斑といいますが、焼けてない肌に紫斑が見られたのもこのころからでした。もう少し経つと、特有の脱毛が起きてきます。今出ている教科書に、原爆の急性症状について脱毛という言葉が書かれていますが、決して脱毛ではありません。頭の毛を一本抜いてみると、根元に白い肉がついています。

毛根細胞といって毛の一番大事な勢いの強い細胞です。細胞分裂して毛が伸びるんです。こういう細胞が放射線で一番最初に殺される。だから、毛は毛穴に突っ立っているだけで、下がカラッポですから、触るとスルッと取れちゃうんです。頭はツルツルです。こういう毛の抜け方なんて見たことがない。恐ろしいですよ。男は毛が手についてきても気にすることはないです。女の人は頭に触っただけでけが半分取れちゃうんです。もう息も絶えたえで、ものも言えない人がそれを見た途端、ウワーと泣き出して、その取れた毛に手を当てて「私の毛が~」と泣くんです。みんな泣くんです。私は28歳の男です。女性が頭の毛が取れて、あんなにも悲しいということが分からなかったです。死にかかっているのに、頭の毛なんてどうでもいいじゃないか、何で?と。発熱、口内壊死、出血、紫斑、毛が取れる。それだけ症状がそろうと、一時間も経たないうちにみんな死んじゃうんです。医師たちが聞いたことも見たこともない、そういうような得体のしれない異様な症状が起きだしたんです。

医師たちには病名は分からなかったんですが、「ピカを見た被爆者はこういう恐ろしい症状で死ぬ」ということだけは強く印象づけられました。爆心地から等距離で被爆したものは、同じ放射ん量を浴びていたために、同じころに発病して、同じころ死んでいくということを、十年も経ってから知ったんです。これが放射線の急性放射能症だったんですね。そういう認識を一貫して持っているのが、ヒロシマを経験した臨床医の立場です。当時は、まったく謎でしかありませんでした。