アメリカ軍が原爆を投下

アメリカ軍が原爆を投下

私は、原爆が落ちた86日午前815分に陸軍病院にいれば、当然死んでいました。原爆が落とされる日の朝の早朝2時ごろ、非番だった私は、陸軍病院で寝ていました。たまたま一度診察させられたことのある心臓弁膜症の6歳の男の子が、発作を起こしたというので、その子のお爺さんに叩き起こされて、広島から6キロ離れた戸坂村へ往診に来ていて助かりました。その子が私の命の恩人です。子供の応急処置が終わってから、その子の隣で仮寝をしていたのですが、寝過ごして朝8時に目を覚ましました。子供がまた発作を起こすといけないと思って、鎮痛剤を注射しておこうとしていた時、開け放した座敷から雲ひとつない広島の青空が見えて、そこにB29が一機、入ってくるのが見えました。たった一機でしたから、気にも留めず、子供の手をとって注射をしようとしたその瞬間、ピカッと光って。広島の人は誰でもが「ピカドン」といいます。ピカッと、目が眩む猛烈な光です。頭が真っ白にジーンとなるようなすごい光です。

 

額とか胸元とか、皮膚が出ているところは焼けはしませんでしたが非常に熱かったんですね。驚いて、両手で目を覆って、畳の上にぺたっと伏せました。しばらくじっとしていたんですが、光のあと音もしないし、何も起きない。そおっと手を緩めて、光のきた広島のほうを見ました。爆弾が爆発した直後に火球の出来たのですが、その時、広島の方を見た私は、その火球の出来るところを見たんです。不思議なんですが、青空に、指輪を横たえたような真っ赤な火の輪が出来たんです。こんなもの生まれて初めてですから、びっくりして目を凝らしていたら、その真ん中に白い雲が少し出来て、それがどんどん大きくなって、その火の輪に中側からくっついたんです。それと同時に、それが太陽のようなものすごく大きな火の玉になったんですね。700メートルくらいの火の玉になりました。大きな太陽が目の前に出来た。同時に、火の玉の上はどんどん白い雲になって昇っていくし、火の玉の下はそのまま火柱になって、よく「きのこ雲、きのこ雲」って言いますけど、出来たときは雲の下は火柱でした。

 

非常に不謹慎な言葉ですけれど、あんな美しいものは見たことがないというくらい、とっても美しかった。火柱が輝いていて金、銀、赤、緑・・・、キラキラ、キラキラ光って、きれいな光。その下が広島で、小さな丘があって、広島は見えないのですが、そこに広島湾の海が見える。その広島市の上に火の玉が出来た。それが大きな雲の峰になるまで、私はボヤーッとしながら見ていました。きのこ雲が出来始めた最初から、私は見ていたんです。何しろ、非常に恐ろしい。初めて見る巨大なものです。それで半分腰が抜けたようになってずっと見ていました。そうしたら、きのこ雲の柱を背景にして出た黒雲が、ずーと横に広がって、それが山を越えて私のほうへ向かって押し寄せてくる。それがあっという間に、村の中に流れ込んだのです。二階建ての木造の小学校の屋根瓦が、木の葉のようにぱあっと舞い上がって、そのつむじ風に私の体はすくい上げられて、家の中を飛ばされたんです。その時、農家の屋根が剥がされて崩れ落ち、泥の中に子供と二人で埋め込まれました。