あなたは、内部被ばくのことを知っていますか

被爆医師・肥田舜太郎さんの証言

 

あなたは、内部被ばくのことを知っていますか

 

はじめに

 

私は、肥田舜太郎という内科の医者です。

 

28歳の時に原爆に遭遇しました。たまたま広島の爆心地から6キロ離れた戸坂(へさか)村にいたため助かりました。私がいた広島陸軍病院は爆心地から350メートルで、職員、傷病兵あわせて597名がいたのですが、3名以外は即死したと聞いています。原爆という爆弾は、たくさんの人が思っているように、たった一発で町を破壊し、広島と長崎を瓦礫の原にしたという、そういう大変な破壊力の強い爆弾という一面を持っています。310日の東京大空襲や大都市で多くの人々が焼夷弾で焼き殺されました。広島・長崎でも焼き殺されました。

 

ここまでの残酷さは同じです。ウランやプルトニウムを原料にした原爆の残酷さは、戦争が終わってもずっと続いているのです。これがもう一方の面です。私は、自分の命が助かったため原爆投下直後から今日まで、正確には分かりませんけれど、内輪に見積もって6,000人くらいの被爆者の面倒をみてきました。私は、原爆の一番問題になるところは、人類がまだ経験したことのない放射能というエネルギーを、まだ何も分からないうちにそれを爆弾に組み込んで、人を殺すために使ったということが許せないのです。

 

私は医者ですから何が一番大事かというと、目の前に来た患者さんの命が何よりも大事です。ところが、被爆した人が、何故死んでいくのか、何故そういう症状が出るのかがまったく分からない。医者にとって自分に分からない症状で、しかも理由が分からずに患者が死んでいく。これくらい苦しくて悲しいことはありません。被爆者について今日まて゛、それがずーっと続いているのです。そういう意味で広島と長崎の悲劇はまだ終わっていないのです。そこへもってきて、今度、平和に暮らしていた東北で、原発がとんでもない事故を起こしました。今もまだ放射能は止まりません。止め方がわからない。つまり、一度人間のコントロールを離れた放射能はどうすることもできない。

 

電気を起こすために稼動している原発からは、毎日毎日核廃棄物が出ます。ちょうど昔、石炭を掘っていた鉱山に、廃棄物をいっぱい積み上げたボタ山というのがありましたが、そのボタ山のように、今原発では大きなプールを作って、廃棄物が、つまり使用済み核燃料が水の中に漬けてありります。水に漬けておくより他に手がない、どうすることもできない。そういう物がみなさんの平和な生活の中に、ボコッと断りもなく踏み込んできて、そして、その影響を受けた子供たち、お母さんやお父さんも、お爺さんもお婆さんも、いつ命が終わるか分からないという常態に叩き込まれているということです。